平明に打ち震え

 私は、遠い夏を待っていた。後に引けなくなってきた人生の一掃を図る、ちょうどよい機会を待っていた。

 

 おごりあったソフトクリーム。食い意地をはって、私達は、溶ける前に平らげた。指先は、彼女の頬の温度を感じなかった。夏の暑さに馴染めぬ彼女の体を、私は陰で、こっそり哀れんだ。

 

 月日は、薬なんかではない。毒なのだ、きっと。後悔や焦燥を、私は抱えて彼女に縋って、一度だって感じることのなかった体温を、ずっと探している。過去に戻りたいことと、今を愛せないことが、生きることを苦しくする。

 苦しい気持ちを表現できる言葉が、これしかないのだ。彼女は私を忘れただろうか。

 私はまったく。

 

 不健康な生活の中で彼女の影に重なろうとしているのだった。

 そうやって毒だとは知りながら、身を削って彼女に見つけてもらおうとしている。探すことをしないから、見つけてもらえないのに。

 夜に彷徨おうとする君が、羨ましかったりもした。私には同じことをする体力が無いから。彷徨い切れていないから胸が空くような気持ちだったことも確かだ。

 私は肝心なところで、踏み切る勇気も、人に愛を与えるつよさも、何ひとつ持っていなかった。何処にも行けない私達は、どうすればいいのだろう。豊かな麦の穂を見るたび、彼女を憶う。

 

 さようならと、私はとても言えない。君と私のあいだを私は一方的な嘘や欺瞞で充たした。傲慢で卑屈で、そんな私は愛を享受することも捧げることもないまま、哀惜のままに死ぬだろう。

Vertu sæl, Engiferöl.

あなたと生きていくのがつらい

指先が荒れている、今朝花を持った。

薄情な私はずっとあなたの愛を求めている。

与えることをせずに、だってどう与えるものなのか。

適温の部屋で冷えた机に頬を張りつける。

音が聞こえる、三年掃除していないクーラーの、暖かい風の。

思い出している、あなたに期待したこと、それを諦めたこと。

一か月自分のためにお茶を淹れた。

目が乾く

無生産の頭

 

愛を与える方法を知らない

もう大人になってしまっただろうか、だけど集中してこんなことを。

本当の居場所を求めている、帰り着く場所。

自分を踏み潰してきた、ずっと焦りを抱えて。

何も聞きたくない

何も知りたくない

あなたの愛だけあればいい、それでいい。

不死のふたりになって、みんなが爆ぜて死ぬ時を見ていよう。

嘘だよ

何になればいいんだろう

 

帰り着く場所

探している

私の心が帰ろうとする場所

どこ?

にもない

なんでなんでなんで

飲んで飲んで飲んで

開けたドア、嘗めやがって、すり寄りやがって、空き瓶、ゴム。

ぜんぶぜんぶぜんぶ

壊してやる

捨てた灰がら

拾った亡がら

消した後悔、連絡先

ふたりで溶かした時計の針

狂って

バスで去ったお前

終わって

(もうおうちなくなっちゃった)

 

さようなら、ジンジャーエールの女

ひとりにしてくれと叫んでいた。

さようならさようならさようなら

私だけの感情をだれにも渡したくないのに、こんなにも分けて見せたい私の一部。

見ないで見ないで見て忘れて

ずっと会いたくないわけじゃない、会いたいけれどさよならするのが寂しい。

会わないほうが楽だ、心なんてなくていい愛せなくても。

疲れるから疲れているから

さようならさようならさようなら

誰も死ねない世界がいい、ずっとみんなで生きていよう。

愛であるはずである

なにもおかしくないのである

愛しているよ愛しているよ心から

さようならさようならさようなら

寂しい寂しい寂しい思いみんな寒い

ずっと死にたがった女は今日はじめてひとりになりました。

さようならさようならさようなら

彼女はもう大丈夫なはずです。

おだやかに生活をする

ああ

 

懺悔

 私が無下にしたものを数える。

 数えきれないほどの被害者が、私のことをどこかで恨んでいる。

 そう思うと、何もかも恐ろしい。

 

 私が本当に傷つけてしまった人がいて、その人を傷つけるほどに愚かだったあの頃をなかったことにできるならどれほどうれしいことだろうかと思う。彼女は何度も私に声をかけたのに、なんども感謝してくれたのに、私は何も返せなくて、彼女の素直なところが恐ろしくてそして恨めしくて、悲しいくらい無情に彼女のことを忘れようとした。優しい彼女はそれでも毎年私の誕生日を祝って、手紙にたくさんの思い出を書いて、私のことを愛してくれた。そんな人の愛情を失うことが今は一番怖い。あれほど煩わしかった素直さが今は泣くほどたっとく映る。あれほど恥ずかしかった幼さが美しくてたまらない。

 

 ずっと後悔を抱えている。私がなすことは何もかも他人の損失につながってしまうと本当に信じている。それが病的なものだと思うことはできないのは。それこそ病的な何かだ。私は苛まれるほど人を裏切っただろう。人を恨んだだろう。それでも私を愛していると言葉にしてくれる友人がいる。どうしてなのかわからない。友人らですら、むしろそのことに関しては恐ろしく見える。どこからやってくるとも知れない、あるいは、生来のものなのかもしれない強い背徳感と罪悪感で身が干からびていくようだ。

 愛していると言えるのはなぜなのか、教えてほしい。人が愛してくれるわけも理解のできない薄情な私をそれでも愛するというのなら、私に、あなたの愛を無条件で享受させてほしい。恐ろしいのだ、私は薄情なまま生きてきたから。自分のことすら愛することが出来ない。薄情な人間の気持ちや考え方しか知らないから、甲斐のない私を愛せるような心は教えてもらえなくばきっと理解できない。あなたに会うとき毎回私は自分が間違っていないかを確認する。間違った自分を準備していないか内側で問答し続けている。日常で不安になるほどに自分の枚数が増えている。自分が増えて増えて捌ききれなくなって、いつかきっと間違ってしまう。あなたに見せるはずではなかった私を携えてあなたを訪ねてしまうかもしれない。そうしたら、私は、私を許せないしあなたは私を愛せなくなると思う。それをまた恐れている。自己愛の不足によって他者の愛情、自分の本質すら病的に疑っているうちに足を踏み外して、崖を滑り落ちて、愛情も本質も何もかもまとめて失ったっておかしくない。とにかく恐ろしい。生きていくのがこんなにつらいのに私はどうして娯楽にも気を許せないのだろう。

 

 

ネブル

 

川の彼岸で女が水に倒れた。

私は女の身を案じて水浸しになった。


もしかして、私は怯えているのだ。

 


女が寒い、と呟いた。

凍えてしまいそう。

お前は冷たいから、私に触らないで。


必死に揺り起こそうとした私を嫌がった。

私はそんな人間を忘れられない。

 


私が弱いだけだ、彼女を忘れられないのは、彼女を探さないのは。

私は拒絶を求めていた。

産まれてからずっと、拒絶が必要だった。


人当たりが良くて分かりやすい子。

好かれて当然だ。求められて当然だ。


私が私はそう生きたいと願った。

 


願いの結果がこの欲望だ。

透明になったあとで、私を求めた。

 


誰かに虐げられたいとずっと思っている。

誰にも興味を持たれなくなった瞬間の訪れが怖いから、私はずっと誰かの嫌いを探していた。

 

 

願いも欲も上手くいかなかった。

あまりにも、私は生きるのに向いていなかった。


全くその通りだ。

私は今濡れているし日が暮れて風が吹きはじめた。

体が冷たいのだ。

しかしそれは彼女もまた同じで、冷たくなっている。

 


彼女の肌に触れても温かくない。

私が自分の体温を感じるだけだ。


それでもずっとずっとずっと、嫌われたくなんてなかった。

 


人の体温が苦手だと言った時、ちょうどいいと言った。

私もお前も今は冷たい。

だから、手を握っていよう。

 

ラブコール

 愛してほしくて生まれた煩悶に日々が停滞したことはあるだろうか。

 静かなねむりのために流した音楽の意味を探したことはあるだろうか。

 あるはずの答えを見つけられないのはどうしてか。忙しなさはそのいいわけだ。


 その女の笑顔はまるで何かのまたたきのようだった。はたまた竹林のそよめきだった。夏のはじめに出会った女のしずかな佇まいは毎日の煩累によって生じた熱を冷ます氷水に思えた。けれど柔らかな陽射しのようにそれはずっと優しいのだった。

 空を撮る人はきらいだった。詳しくいえばだだっ広く空しい画面を収めたがる了見が知れなかった。それは今も変わらないけれどことその女に関しては大丈夫かもしれなかった。ほのかに温もる体や頬が不気味になってはじめて病に気がついたのだ。恋慕だった。

 新しい音楽をかけはじめたりした。苦しさのほうがずっと重かった暗闇が、ただ楽しかったりした。

 

 

 

 風においていかれた。世界ははやすぎる。ジャングルジムは高い。雲は世界なんかよりもっとはやい。

 高いギターは高くて、そしてじつはスコアも高い。ほしいのはやはり黒のスネークバイト。リフマスターは忘れえぬ輝きだ。

 六弦奏者は病んでいる。そいつは死にたがりだ。六弦奏者は一弦を失った。そいつはうごけない。

 一弦がなければ二弦は鳴らせない。重症だった。


 たった一本で弾いていたおじさんがいた。あの人はよかった。

 

 

 

 私は私を好きでいてくれるひとに一生気づかず死ぬかもしれない。かつてそういうひとをつくりかけていた。

 今の私ならあのひとと生きてゆけるのだ。けれどそんな感情は傲慢すぎて、たくさんの私があのひとのなかで失われていく。それで眠れなくなった。なにもかも私に起因してなにもかも私に返ってくる。輪廻転生だってイデアだって存在しそうな勢いで。

 眠くなったら眠ればよかったのにいつまでも夜の詩を書いていた。そういう症状だ。

 果てないものを欲している、それなのに。幸せな未来、反吐が出る。永遠の愛情、嘘っぱちだ。わすれなぐさだって語り継がれなければ意味がない。


 後悔は果たして、悪いのでしょうか。

 月日は薬ではなく、毒なのでしょうか。

 嘘つきは芸術家になれないのでしょうか。


 私は嘘っぱちだ。あなたのようには生きていない。揺籃のなかから窓の外を雲が走っていくのを眺めるだけの、未熟な存在。それでも愛していた。あなたが生きているのを。私がそこにいたのを。

 濁った油の中でふたりしてもがいていて、諦めた。その時間を永遠だと思った。けれど永遠までも。永遠までもが。


 いちばんになれないから、もうなにもしない。

 私たちはそれを愛と名づけたんじゃなかったか。

 

 


 おいていかれるのに恐怖心を感じたのは少し前だ。人のことを考えはじめたのと同時だった。自覚はむごい。

 風においていかれ、手から零れるのは愛おしい生贄たち。愛おしい生贄なんて、振る舞いだけだ。

 ピーターパンは彼らの世界を守っていた。自分の手で。彼の世界を愛して、隣人を愛して、恐れを排斥した。

 私にはできない。自分のために自分のための世界を守ることすらできないのなら、もういい。生贄たち。私の大切な思い出たち。手放すから、はやく解放してくれ。私を内向の世界から、ひとりよがりのあたたかいベッドから、叩き起こせよ。

アンタイトー

 激務に追われていてもじゅうぶんに眠る才能を持つこの人でさえ、今は眠れないのだ。
 彼女のパソコンのオーディオからはさみしいジャズが流れていた。ふたつに分解されて平面をなぞるだけになった金管のぬくもりやピアノの調べが切なく、空気を重くしていく。
 泣けない彼女の代わりに自分が泣いてしまいたい、悲痛な叫び声で満ちているこの部屋から彼女を解放してやりたい、そう思った。

 

「初めて嘘を吐いたのは就学前のことで。私は大人の興味を引きたくて、昨晩家が火事になったとでたらめを言った。そうしたらいつもは私のことに構いもしない大人が心配をしてくれて、今も覚えている、その嘘が夕方にはばれたこと、どうしようもなく恥ずかしかった。」
「どんなことでも嘘を吐いて、あなたはなぜ懲りないんだ?それで何度となく後悔をしてるのに」
「やめられない、きっといつかは嘘から解放されるんだと期待をしては、それまで嘯いてきた人間たちとのつながりに足を引っ張られてしまう」
「つまり、あなたは自分のせいで失敗した過去をいつまでも引きずるのは他人のせいだと言うわけ」
「そう、その通り」
「巻き込まれた他人の人生に申し訳ないと思ったことは?」
「しばらく前にその責任は放棄したから」
「しばらく前までは申し訳ないという気持ちを持っていたということね、それではどうしてその気持ちが変化したの?」
「嘘が悪いと思っている人間が愚かなだけ、感性が乏しくて先入観にとらわれているのよ」
「なるほど、まあわからないけど」
「どうだっていい、私の感性を理解してもらいたかったらこんなところに閉じこもったりしないわ」
「正しさのために立ち上がる人間たちは?」
「いいじゃない、私もなりたかったの」
「あなたはもうなれない?」
「愚問よ、けれど答えるわ、私も愚問だと自覚しつつ何度も自分に尋ねたから」
「ありがとう」
「私は何者にもなれない、これが答え。かっこいいでしょ?」
「あなたがそう言うならそうだよ」
「あなたは社会にならないわね」
「当然だね、まだ訊くよ。友人はいる?」
「答えるために質問をするわ。私の名前を知っている?」
「もちろん、だからここに来れたんだ」
「それならあなたは友人になれるかもしれない」
「少しわかりにくいな」
「そのうち分かるといいわね」
「家族は?」
「答えられない。私にも何なのかよくわからないの」
「人を攻撃したことは?」
「あるわ。何回も何回も繰り返し、短い期間で陰湿に。くだらないでしょ、今はこんなに攻撃されることを恐れるのに。それでも正常な私はまた攻撃をするのでしょうね」
「悪いものは?」
「その言葉は嫌いね。他人が他人を卑下することを眺めることの何が楽しいの?悪を認めて楽になるのは本人だけよ」
「差別は?」
「忌まわしいものだわ、ほんとうに。どうして根付くのかしら」
「最後に思ったことがあるんだ、この出会いを祝って言ってもいいかい?」
「返事は必要?」
「してくれるならうれしいな」
「そう」

「長くないから、寝ないでくれよ」
「たぶんね」

「あなたの人生は呪われたままなんだよ、初めて嘘を吐いた日から。それなら忘れてみないか。あなたは自分を許せるかい?原初の嘘を忘れて、しがらみを自分で絶やすんだ。それが許すということだよ。あなたが棄ててきたものは数知れない。今ここでそれらと似たようなものを切り裂いたところで何も変わりやしないよ、あなたの空洞には勇気も必要なんじゃないかと、ぼくはね、そう思ったんだ」 
 
「へえ。ねえ、あなたの名前を聞いてもいい?」
「ああ、すまない。僕の名前はムギだよ、はじめに名乗るべきだったね」
「ムギというの。そう。ムギ、私はイノセントを信じているの。他人の中にも、私の中にもそれを見る。けれど私が正しさの為に立ち上がるのなんて、まっとうな正しさに申し訳ないわ。申し訳ないなんて思っていないくせにと思う?それはあなた次第よ。私は私の為にものを言うから。この花でもどうぞ。持って帰るといいわ」
「どうも、ああ、いい香りがするね」
「もういいかしら」
「うん、今日のところはね。またそのうち来るよ。そのときは僕が何か持ってこよう」
「つまらないものならいらないわ」
「それは大丈夫さ、ぼくが選ぶんだから。それじゃあ道を忘れる前に、じゃあね」

 

「これで最後なのだけど」
「ああ、いいよ」
「私はイル。ねえ、ムギ。私の名前を呼んでみて」

君主に宛てて

 私がどれほどあなたを愛していて、どれほど憎んでいるか。

 そんなことは誰もが一生知らなくていい。あなたはもちろん、私だって。

 

 君主に対して頭を下げながらありがたそうに進み出て、偉そうなその首に手をかける。力の限りに絞って、絞って、動かなくなるまで。息の根は絶えてしまったらしい。どうやら。その浅い胸にてのひらをのせるとなるほど確かに生温い血と肉の温度、活動していない肉体だった。

 

 ああ死なないままでこのままで、「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろう」。死ぬ気がない私がなぜこんなにも死にたいのか。私の一生を貫いたテーマ。あなたではないから私には決定的な瞬間が訪れないし、人生をでっち上げるためにひとつひとつ重ねていったジェンガは杜撰に積まれて、地盤は手抜き工事、欠陥だらけのマンション。もっと生きる気持ちを持って敷き詰めていたらよかったのに。

 

 百群の奥深い一枚に、窈窕な星座を結んで、めかりどきは楽しげで、不眠患者の家に届いたハンモックには意味がない。壁に染みついた私の悲痛に、悶えに、快楽に、踊りを踊って大団円。