それは残酷な訪問だった

 私達は愚かさの末裔だ。怠惰に腰を据え夜半細々散歩に出ては朝の影に胡座をかく。その涼しさに休んでも自分ではない別個人の考えていることなど見当がつかないしついても理解ができない。何を思ってその言葉を選びなぜ地上からいなくなることを選んだのか、ぜんぶわからない。ちょうどひとりひとりがそれを選びまたしそこなったとき、自分の動機がわからなかったように。

 

 多すぎる疑問に納得できるまで粘っていると社会が巨大に思える。ビル群は摩天楼の風格で仲の悪いアンサンブルを奏で、わが身を覆いつくさんとする波に変わる。のまれれば孤独ではなくなってしまうと惧れひたすら走って津波から逃げた。背後のずっと遠くで海が吼えるのを聞いて振り返ると生き延びた足元に穏やかな薄い波が寄せていた。私は浅瀬から社会を眺望している。そんな逃避行を重ねているうちに今度はその煩累に気づく。政治、流行、気候、交友、権利、外交。人間のペルソナを取り去ろうとするトピックは何もかもくさくさするだけだ。その磯には私がずっと嫌いな香りが立ち込めている。

 

 安らぎを求めてきた。心からの安寧、安心。それはペーソスやルサンチマンに委ねられていても構わない。そしてその追及の裏では人生が流離譚に完結することを願っていた。けれどこの二つの欲望を叶えるにはきっと人生も二つ必要だ。諦観で世界を狭くするのはまだ早いと言う存在もあることだろうか。けれどいつだって私に引導を渡すのはそういう存在である。そして渡された私はこう思うのだ。「英傑の物語でなくても、ほんとうはいいのかもしれない。私がヒーローになりたいのは、いったいどうしてだろうか。」欲望は消費される。いともたやすく、まるで芥のように。

 

 私は苦しみや痛み、恐れや怯えは欲しくなかったが、あなたと獄に入りたかったのだ。違和感や排斥感を覚えることや社会に対して立ち上がり何度も声を張り上げてきた先人のように、時に凶弾に倒れ時に凶弾と謗られた彼らのように、私はあなたと共に戦いたかった。もうあなたに戦うための腕はないだろうか。しかし歴史の証左は私達だ。神の存在を証明するのも全ての闘争を良いか悪いか判断するのも、この時代、そして風潮、流れの中に生きる私達一人一人の手に委ねられている。人間は愚かだと呪い文句を宣う私はそれでも人間をいとしく思っている。そして是非人間として高邁な精神で社会、世界、そのような大きなものに向き合いたいと望んでいる。ひとりが生きやすく、またひとりが生きやすく、社会が掴み損ね見て見ぬふりで通してきた存在全員の掌を手繰り寄せよう。人のために山を削り、その土で谷を埋めることが私達にはできる。道や河川だってきっと整備できるはずだ。私は先人の戦いから一つを学んだ。あらゆる手を尽くしても、犠牲者は生まれるということ。けれどそうであるならば、打開策を思案するしかない。人々を諦めることなど多分生きている私達にはできない。

 

 星の瞬きを心象の明滅に見立てよう。人生の栄枯転変を花の一生に例えて語るのはやめにしよう。星には手が届かず花を手折ることは簡単だ。扱いやすいというだけで都合よく利用することは同じ過ちを繰り返す原因になる。かつて偉人は演説した。「我に自由を、さもなくば死を」と。これはずっと昔、今の先進国が未成熟で発達途上だった時代の言葉で、今の世の中にふさわしいかどうかは怪しい。育ち過ぎた社会の仕組みの中でいかなる人も不自由なく生きるために、自由な人間には多少の不自由が要求される。己の快適のために何かを犠牲にしすぎるのは、時代の素振りとしてあまりふさわしくないのではないか。けれど快適に過ごしている自分の体が確かに存在することで、私は理想と現実の距離に頭を抱え、厭世的になる。

 

 忘れたくないことがある。それは死んだ祖父の声や匂いや好きだったものの雰囲気、人生の忘れられない刹那などである。しかしそれらがどれだけ大切で貴重で二度と起こらないことでも、結局忘れる。実際忘れてしまった。だが忘却に気がつくのは幸福なことで、なぜならその気づきは憶うことと同時にやってくるものだからだ。普段通りの生活をしている何気ない一瞬で、ふいに思い出すのだ。記憶の風景の光芒や太陽の焼ける香りが私も知らない自分の器官を走り抜ける。そして忘れていたこと、雲烟過眼してしまう性格を寂しく思う。けれどそれは人生の光だ。忘れてしまうものは思い出せるということ。再会できるということ。

 

 ミーティアは青を打ち砕いてデブリ

 思索と憂慮の切れ端を私はこれからも抱きしめていくのだろうか。それがどれだけ辛くて誇らしいことなのか。内面と在り方の隔たりにこのままずっと苦悶しながら、私は決定的な瞬間を探し求めよう。もっともエピファニーは自ら探しに行くようなものではないが。